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浜辺の診療室から

機能低下が進むと、ケアは楽になる?
(死と向き合うこころ 第1回)

  • 高齢者の終末期

日本は1994年に高齢社会を迎えました。以後、高齢者は加速度的に増えています。

一方で都市部と、過疎地を含む地方とのばらつきも、問題になってきました。終末期医療つまりターミナルケアを行う施設としては、健康保険適用施設として医療療養型病院とホスピスがあり、介護保険適用施設として老健、特養および介護療養型病院があります。

けれども介護保険が適用される施設では、“看取り”に対して、積極的に取り組んでいる施設が意外に少ないようです。終末期なら病院でしょ? と考えているスタッフや、家族が多いからですが、……なぜでしょう。

 

施設や病院に入った高齢者たちに対し、日常のケアをとおして安穏な日々を提供しようと、スタッフたちは考えています。その高齢者たちは、諸臓器の機能が低下していたり、脳という臓器の機能低下による認知症があったりします。認知症の進行により、栄養を受け入れることができず自らの筋肉と脂肪を燃やしながら生きている人になり、やがて脳の荒廃により思惟することが難しくなった人になり、それによって基本情動や原始情動のままに生きている人になっていきます。

もはや徘徊せず、感情の乱れもなく、辻褄が合わないことばを発することさえなく、臥床時間が増えて “動きが少なくなった人”に移行したとき、わたしたちは、その人を、どのような目でみているでしょうか。

 

ケアする総量は、自立度と反比例すると多くの人は考えています。自立していればいるほど、ケアを必要としないからでしょう。だからこそ、要介護・要支援・いずれも不要といった分類が可能になるのです。

けれども認知症が進行したことで徘徊することもなく、感情失禁もなく、多くを語らなくなった人は、車いす生活になって転倒するリスクが減っています。ケアする側は、介護への抵抗や暴言が消えるから、ムッとすることばを聞かずにすみます。ケアする総量が減ったことで、従来より “手”がかからなくなったとホッと胸をなでおろす職員もいるのです。

 

考えてみると、これは奇妙なことです。ケアする総量が少なくてすむ人というのは本来、自立度が高い人だったからです。いや、終末期といっても手はかかるのですよ、とスタッフは反論するでしょうか。栄養供給源を取り替え、寝返りすることを人為的に補助するのです、体を洗う介助もするし、排泄管理もあります――。だからケアする総量は少しも減ってはいないですよと、スタッフはいうのでしょうか。

目次

認知症

高齢者の終末期

老いるということ

新型コロナウイルス感染症

心療内科

介護・医療・福祉の現場から

生をめぐる雑文

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