おそろしさに襲われるとき
(死と向き合うこころ 第6回)
- 高齢者の終末期
不治の病をかかえながら、死が見え隠れするとき、夢のなかで、あるいは疼痛緩和の麻薬を使っているなかで、細川さんは“恐怖”を体感したと思える詩があります。44年で生を閉じた人を老いびととは呼べませんが、病のため一気に老成したような重みがあるだけに、老いびとのこころと相通ずるものがあるように思います。
詩「おそろしいものが」には、黄泉の世界に引きずり込まれるような怖れが刻まれています。
「おそろしいものが」
おそろしいものが
背後から迫った
逃げると追いかけてきた
夢中で逃げているうちに
背後のものがおれのなかを通り抜けて
おれの前を去って行った
なんだろうそいつは
そいつはおれに追いかけられているかのように駈けて行く
あいつはなんだろう
道ばたの人におれは聞いてみた
あれはなんでしょうか
あれは死だと総入れ歯の男が荘重に言った
キザなことを言うとおれは思った
死を知らぬ者にかぎって死を云々する
しかしおれだって死は知らぬのだ
おれは宿屋に入った 古いおれの常宿だ
お帰りなさいと白髪の番頭がびっくりしたように言った
帰ってきたのが意外なような声だ
女中もおれの蒼い顔を見て不気味そうに
どこへおいででしたと言った
おれはスリッパをぴたぴた言わせて廊下を歩いた
しめった地面をあいつが歩いて行った足音を思い出す
おれの部屋は遠く
永久にたどりつけないみたいだ
いやな臭いがする廊下でおれはつぶやく
あれは生だったのではないか
『詩集 病者・花』(現代社版 1977年)