認知症になると、社会のなかで生きていくことが難しくなる
(第4回)
- 認知症
ものごとを論理的に考えたり、問題を解決したりする能力には、個人差があります。それらは素養としてもともと高いレベルで備わっているというより、必要にかられて後天的に獲得され、熟成されていった力です。
知的能力の定量評価は難しいですが、わたしたちの社会では、Aさんは論理的に考える力があるが、Bさんは希薄だ、などとよくいいます。敢えて点数化するなら、Aさんを10点とした場合、Bさんは4点だなどと。
しかし、論理的思考に長けていても、問題を解決する力が希薄な人もいます。どう考えるかということと、現場に合った解を絞り込む行為は、別だからです。「Bさんは論理的に考えるほうではないが、出してくる対応策はいい」といったことは珍しくありません。ですから、Aさんの問題解決能力は4点で、Bさんは10点といった意見を、業務評価の場面ではしばしば耳にしてきました。
論理的思考や問題解決能力力が、年を経るにしたがって落ちてくることも、わたしたちは自らの経験として知っています。論理的に考える力が10点だったAさんも、やがて6点や5点になってくることは珍しくなく、むしろ自然なことです。きちんと筋道立てて考えた結果を、わたしたちにもわかりやすく説明してくれたAさん。その説明が、このところやや冗長であると指摘された場合、Aさんは、はたして認知症でしょうか。
認知症の解釈が、先の(※)だとすれば、Aさんは認知症ということになります。けれどもわたしたちの経験からすれば、Aさんは認知症には該当しません。であるなら(※)の解釈は、舌足らずといえます。どこが足りないのか……。わたしには、社会性という要素を欠くことができないように思えます。そこで、認知症の解釈を以下のように変えてみます。
考える力、ものごとに対応できる力、社会に適応して生きる力など、ヒト特有に備わった脳の機能が、いったん発達を遂げたあと加齢や病によって低下したことで、社会のなかで生きていくことが難しくなった状態。(※※)