退院したのに家に戻れないのは、なぜ?
(第8回)
- 認知症
入院した高齢者が退院できる状態になって、家族が説明を受ける場面があります。脱水症が治ったのに、なぜ家に戻れないのか。骨折の手当をしてリハビリも順調にいっていたのに、どうして家に帰れないのか。若く健康な方は、そう思うかもしれません。
理由は、帰るにふさわしい場が家にはなく、環境が整っていないからです。戻ろうとする場所が、入院する前と少しも変わっていない環境であれば、ほどなくして入院してくる可能性は高くなります。
食べたくなかったから食べなかった。だから脱水になった、という単純なストーリー。
でも、食べたくなかったから、そのまま寝ていた。あるいは、知ってはいたが寝かせておいた、のであれば、好ましくない状態は再発します。前者は独居老人に多く、後者は家庭で孤立していた老人によくみられます。
骨がもろかったせいか、ちょっとつまずいたら転倒して骨折した。これもストーリーとしては単純です。でも、トイレに行くまでにいくつも段差があったり、居住空間がゴミに囲まれて足の踏み場がないのであれば、早晩転倒するでしょう。
これも、独居や孤立状態に置かれた老人に多いパターンです。
暮らすのにふさわしい社会的環境が整っていないために、行き場を失った高齢者たち。
そうした方々がが退院したあと戻るところは、さしあたり家以外の場です。継続医療が必要であるなら療養型病院へ、そうでなければ老健(介護老人保健施設)、特養(介護老人福祉施設)、グループホーム、有料介護施設といった場が検討されます。
けれども戻った家でふたたび暮らせるか暮らせないかは、ひとつの見解です。退院先をめぐって意見が分かれることも、ままあります。
老いびとが崩れ、介護していた同居人が崩れ、家庭まで崩れるといったニュースが流れる時代です。崩れゆくものがどこかにあるなら、どこかが受け止めねばなりません。それぞれの地域で知恵を出し合い、崩れないような手立てを考える必要もあるでしょう。
ところで、本シリーズ第4回「認知症になると、社会のなかで生きていくことが難しくなる」のコラムにある( ※※ )の文言を、ちょっとだけひねってみます。
「考える力、ものごとに対応できる力、社会に適応して生きる力など、ヒト特有に備わった脳の機能が、いったん発達を遂げたあと加齢や病によって低下しているものの、社会のなかで生きることがかろうじてできている状態」――これがわたしたち、就労者の姿です。
就労者と、認知症に悩む人の差とは、機能差にすぎません。
機能が2なのか、5なのか、8なのかというのは、所詮 程度の問題です。