すぐれた機能と貢献度は、必ずしもイコールではない
(第9回)
- 認知症
機能についてちょっと考えてみましょう。
視点を自然界に移してみます。たとえばクジラは砂浜に乗り上げることがあります。クジラは、超音波による反響定位システムで位置確認をしています。じつにすぐれた機能です。
ところが砂浜は、発した超音波の入射角が小さいため、反響が得られせん。だからクジラはそのすぐれた機能をもって障害物がないものと解釈し、大海原が広がっていると判断してしまうわけです。
砂浜という危険な障害物を察知せねばならない、といった「目的」に対し、反響定位システムは「機能しない」=「機能ゼロ」と評価してしまう人がいます。
けれどもそれは、正しくありません。機能していたにもかかわらず、目的が果たせなかったというべきでしょう。
ではなぜ、機能しない、機能ゼロなどといわれてしまうのでしょうか。理由は、目的からみた機能と、結果からみた機能つまり貢献度では、評価が異なるためです。
機能を評価する場合、よく用いられるのは「貢献度」です。役に立ったのか、立たなかったのかが問われるのであれば、何に対する機能をみようとしているのかといった焦点が明示されない限り、判定はできません。大海原を泳いでいたクジラのときは機能していて、砂浜に近づいたら機能しなくなって乗り上げた、というのは、貢献度という視点からの評価です。
クジラにとって、障害物回避の目的で機能しっぱなしであった装置は、結果からみた機能つまり貢献度という点で、ゼロと判断されてしまう――たしかに砂浜に乗り上げたままでいたなら死を招いたはずですから、生き続けることに対する貢献度はゼロです。ただし、そこには砂浜という「条件」が加わっています。
このことから貢献度とは、設定された目的や条件の変化によって、変動を示すことがわかります。さらに、一般的にある項目に対する貢献度がそのまま「機能」の評価につながるのなら、この判定方法は定量評価ということになる――早い話が、程度の問題なのです。
クジラには、陸上で生活するための機能がありません。これは程度で評価できる問題ではないのです。