ひとり身のこころ
(老いあれこれ 第13回 終わり)
- 老いるということ
『高齢者の孤独――25人の高齢者が孤独について語る』という本をもとに
独居で暮らす高齢者の声に耳を傾けてみると、
配偶者の不在以外にも、孤独の要素が複雑に絡み合っていることがわかります。
たとえば話し相手がいないことで孤独は深まり、
もはや社会から必要とされていないと感ずるだけで、
無力が募ったりしているのです――。
本を一読することを皆に勧めて、50代女性の話は終わりました。
聞いていたわたしは、むかしのことが思い出され、少しだけわかる気がしました。
およそ15年前――19年共に生きた連れ合いが、病により永眠しました。
配偶者を失ったケースの場合、
それまで住んでいた場所に留まる人もいれば、
新天地に移る人もいます。
元居た場所に留まる人は、子どもが友だちを失いたくなかったり、
他の同居人がいたり、といった理由が多いようです。
わたしの場合は、ふたりだけの生活でしたし、
家を買ってまもなかったからでしょうか、
住民票のある町が、わが町であるとの感覚はありませんでした。
ですから都会を離れる決断は、早かったように思います。
一日の仕事を終えて電車に揺られ、海風が香る駅に降り立つと、
知らぬ町の空気が一切をリセットしてくれる気がしました。
いま振り返ってみると、
ふと崩れゆく気分を、幾度となく経験したように思います。
土日や年末年始は、ひとこともしゃべることなく過ごした日がほとんどでした。
そうして、これまでしてきたことすべてが、徒労に終わった気分に包まれていきました。
新たに取得した資格を すべて捨て去ったのは、そのころです。
流されるがままに一年、二年、五年と、海辺の町で暮らしていました。
それはそれで、ささやかな幸せといえる時間を味わっていたのだと思います。
齢50になって、医療過疎地の記事を読みました。
地方がそのような状態になっていることは、少しも知りませんでした。
安泰な日々でしたが、死に体のまま先細りになっていくことは目に見えていました。
地方にいくための準備を始め、目途がついたところで都内の職場に辞表を出しました。
何年かの時間が経って、孤独から解放されたと思えるようになれたのは、
もがき、あえぎながら武者修行をしていた先で新たな家庭に恵まれ、
ともに働く仲間と巡り会えたためです。
思えば舵を切ったとき、まだ多少ムリが効く年齢だったことは幸運でした。
高齢者の孤独に、話を戻します。
孤独から目を背けたまま、暮らし続けることは可能でしょうか。
苦渋に身を削りつつ生き続けるしか、手はないのでしょうか。
高齢者にとって “時”というのは、
遠くに目をやれば短いように見えるでしょうが、
手元の24時間を見つめる視点に立てば、
時間は湧き水のように湧いてくる気がします。
残された時間を刻一刻と数える前に、
少しいいから誰かとお話しすること、
そしてどのようなかたちでもいいから社会に参加して、その匂いを嗅ぐこと。
孤立無援だと感じている高齢者の方々に、
そんなことをお伝えできればと、
小さな町の片隅で思っています。