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浜辺の診療室から

親を思う気持ちが、一人歩きしていませんか
(老いをめぐる現代の課題 第5回)

  • 老いるということ

人は動物である。動物は必ず死ぬ。

だから人は、必ず死ぬ――。

というのが、演繹法による死についての説明です。

 

安土桃山時代まではもちろん、江戸時代の人も皆死んだ。

大正生まれの利八さんも死んだ。昭和生まれの太郎さんも死んだ。

利八さんも太郎さんも人間で、それ以前の人は皆死んでいったのだから

人は必ず死ぬ――というのが、帰納法による死についての説明です。

 

 

人は老いていく。老いの先には死がある。

だから老いた人は、やがて死ぬ――。

というのも演繹法による説明です。

けれどもここからが難しいらしいのです。

“老い”とひとことでいうけれど、

死に結びつく老いとは

どれくらい老いたときなのかと考えるからでしょう。

 

ガンの場合、この段階になれば残された命はあと何日といった余命宣告は、

テレビドラマならともかく、医学が進んだ現代でも困難です。

同様に、老いていても

この状況になれば残された命はあと何日といった推測は困難でしょう。

たとえば86歳だったときと89歳になったときとで、

ほとんど差がないと感じている高齢者もいれば、

大きく差が生じている高齢者もいます。

在宅ケアを受けていたり、施設に入っている高齢者は後者です。

 

生活状況が大きく変わった高齢者は、どこまで生きられるのか。

老い先の予測が難しいと感ずる理由は、

そこにもろさが居座り、また時間という要素が入ってくるからです。

 あのときできたのに、なぜいまはできないのか。

 いつから こんな状態になってしまったのか、さっぱりワカラナイ――

といった悩みは、健常なときと較べたときから生まれます。

 

 

親を思う気持ちはわかります。……けれども、

健常なときがそのまま続いていると思っていませんか?

あのときもできていたのだから、今だってできるはず。

少しくらい悪いところがあったとしても、治療すればもとに戻るはず。

そう信じて、“元気”を期待したい気持ちが、あなたの悩みを助長させていませんか?

 

 

思い込みや、事実から目を背けて“むかし”と較べる行為は、

高齢者を窮地に追い込むことがあります。

目の前にある現象を静かにみつめ、

期待や思い込みを捨てて事実を受け入れてみてください。

目次

生をめぐる雑文

新型コロナウイルス感染症

老いるということ

認知症

高齢者の終末期

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