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浜辺の診療室から

故人と向き合うとき
(老いをめぐる現代の課題 第9回) 

  • 老いるということ

亡くなった人との別れはしたつもりだが、

故人の影響が大きかったぶん、

なかなか立ち直れないという人がいます。

 

そうでなく、故人とのお別れがうまくできなかったことを

その後、ずっと引きずっている人もいます。

お別れなら済ませた、とご本人はいいますが、

話を聞くと、最後にきちんと向き合うことができなかった

という“意識下の悔い”が、次の一歩を出せなくし、

宙ぶらりんの気持ちになっているようです。

 

故人と向き合う機会や時間は、自ら掲げた目標や、宿題や

顧客関係や日常業務などを勘案して決められるのでしょうか。

それなら故人と向き合う時間を、どう生み出すかが問題です。

ただ目標や宿題と一緒の天秤に、“ヒト”を乗せることはできません。

ヒトが物質からなる存在である以上、

目標や宿題のような概念と較べることはできないからです。

 

 

 

明治から大正、昭和さらに平成になるにつれ、

喪に服す期間は、“当事者たちに一任される”ようになりました。

ですから喪に服そうという場合、長さはどうであれ

故人ときっちり向き合うことができればよいのです。

もう少し具体的にいえば、

故人を偲ぶ“自分の気持ち”と向き合う期間を

自・分・な・り・に「設定」して、

その気持ちに「従う」ことができればよいのです。

「従う」ことをできなくさせる要素に目標や宿題があるのだとしたら、

価値観に対する優先順位がたぶん、誤っているのでしょう。

 

 

肉親であっても諸事情あって絶縁したのであれば、

社会一般にいわれる関係性は成り立たちません。

現代は、核家族化が進みました。

肉親との関係性は、かつての大家族時代と異なってきたようです。

さらに効率が最優先される風潮とも相まって、第三次産業だけが勢いを増し、

情報通信を主体とした第四次産業なる概念も出てきました。

 

世の変化によって、生身のヒトに対するヒト自身の感受性や価値観も、

変化せざるを得ないのでしょうか。

 

 

 

あなたは大切な人と、うまくお別れができそうですか?

目次

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