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健康長寿サロン

終末期をめぐる話題
(意見交換会 その1)

お題)

(前半)エンディングノート、尊厳死など終末期にまつわる雑談を、とのリクエストがありました。

 

《意見交換会に先立っての簡単な説明》

終末期とは?

いわゆる看取り対応とは、終末期(人生の最終段階)の対応をいいます。

体が変調をきたしたとき、わたしたちは医療機関を訪れます。そこで諸検査を受け、異常があれば病名がつき、治療が開始されます。

治療を受けることで、変調をきたした前の状態に戻ることが多いのは、元の状態に戻る力が体に備わっているからです。これは恒常性(ホメオスタシス)が保たれている、可塑性や可逆性があると呼ばれます。

一方、治療を受けても元の状態に戻ることができない場合、恒常性(ホメオスタシス)が失われているとか非可逆性がみられると呼ばれ、高齢者にある現象です。

ともあれ国民の多くが、不自然な延命措置は望まないとしながら、終末期に不自然な延命措置を受ける事例が、まだまだあるようです。施設に目を向けると、看取り対応になかなか取り組めない施設があります。理由を伺うと、どこからが終末期かわからない、看取り対応といっても何をしていいのか、してはいけないのかがわからないといった意見が多いと感じます。

 

看取り(対応)とは?

恒常性(ホメオスタシス)が失われた人に対して、積極的な治療をせず、自然の経過に任せる姿勢を看取り対応といいます。医療行為をしても、元の状態に戻ることが期待できないためです。自宅であれば、家族や親族が終末期のケアにかかわることになります。特養、老健、有料、サービス付き高齢者住宅といった施設であれば、複数のスタッフが終末期のケアにかかわる行為を、施設の看取りといいます。家族の代わりを施設スタッフが行うわけです。具体的には、在宅医療を行っている医師が定期的にやってきて終末期の人の状態を確認したり点滴したりすることで、苦痛緩和をめざしながら自然の経過を見守ります。心肺停止の後に死亡を確認して死亡診断書を作成する行為までが、看取り対応です。施設ですと、医師以外の人(家族、スタッフ)が、さまざまなケアに関係しています。

 

 

尊厳死とは?  安楽死とのちがい (一般財団法人 日本尊厳死協会ホームページから)

Q 尊厳死とは安楽死とどう違うのですか。

A 尊厳死は、延命措置を断わって自然死を迎えることです。これに対し、安楽死は、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めることです。どちらも「不治で末期」「本人の意思による」という共通項はありますが、「命を積極的に断つ行為」の有無が決定的に違います。協会は安楽死を認めていません。

 

わが国では、いわゆる安楽死は犯罪(違法行為)です。ただ一定の要件を備えれば違法性を阻却できるという司法判断は出ています。山内事件の名古屋高裁判決(1962年)の安楽死6要件や東海大付属病院事件の横浜地裁判決(1995年)の4要件です。しかし、日本社会には安楽死を認める素地はないと言ってよいでしょう。

 

 

終末期――日本と欧米のちがい  参考図書の紹介

  1. 『欧米に寝たきり老人はいない』(中央公論新社 2015)から 抜粋

若年性認知症グループホーム:「人生は楽しむためにあるので、家族やボランティアの助けを借りて、入所者のためにここでよくパーティーを開きます。……驚いたことに、ビールが出てきました。日本では若年性認知症の人に毎日お酒を出すことは考えられません。生きている間は人生を楽しみ、死ぬときは潔く死ぬ、わが国とは生き方が違うと感じました」

外出制限も含め、日本では高齢者の行動は制限されることが多いのです。……足が柵にはさまり骨折する危険があるという理由です。縛ってまで安全を優先します。それに比べ、スウェーデンでは自由と引き換えに、それに伴う危険を国民が受け入れているように思います。入所者が介護施設で亡くなった場合、医師はすぐ駆けつける必要がありません。たいてい2~3日間遺体は施設に安置されるので、その間に死亡を確認すればよいのです。平均寿命:2012年はスウェーデン81.7歳、日本83.1歳でした。予想していたほどの大きな差ではありません。わが国の濃厚な終末期医療や延命措置も、寿命を1年半延ばすに過ぎません。

 

2. 『老衰死』(講談社 2016)から 抜粋

インタビュー中でも何度かアラームが鳴って中断したが、そうしたなかでもマクルーリッチ教授(エディンバラ大・老年精神医学)は、私たちの質問にひとつひとつ丁寧に答えてくれた。

「自然なかたちで最期を迎えるとき、人は苦痛を感じますか?」「すべての人に当てはまるかどうかはわかりませんが、ほとんどの場合、痛みは伴わないと考えています」「そう考えるのはなぜですか?」「痛みを感ずる原因です。痛みというのは、体が傷を負ったとき、治す必要があることを脳に伝えます。しかし、死の間際にいる患者の場合、そうした反応が起きません。この段階では、脳自体が正常な機能を果たすことができなくなっているからです。従って、臨終の過程そのものは、痛みを伴わないのです」

本当に痛みを感じていないことをどうやって証明できるのか、という質問に対しては、こんな答えが返ってきた。「自分で意思表示することがなくなり、終日静かに眠り続けている患者がいました。とても穏やかに見えましたが、それは本人が苦痛を表現できないだけかもしれない、そう思ってあることを試しました。その患者は、足を骨折していたのですが、患部に優しく触れてみたのです。すると穏やかだった表情は一変し、苦痛で顔をゆがめてしまったのです。それでわかりました。穏やかに見えるならば、それは穏やかなのだと」。

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