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健康長寿サロン

“薬に頼らない”という生き方
(雑誌記事を基にした説明会 前段)

『週刊現代』(令和4年12月24日号)の記事を読み、我が意を得たりと感じました。

これまでの治療を見直し、薬を減らしていこうと思うが、ご意見をとのリクエストがありました。

 

 

新年、あけましておめでとうございます。

今回は、ざっくばらんなお話をしてみます。

資料としてお手元に配布されているのは、昨年12月末に発売された週刊誌『週刊現代』(講談社)の記事です。12ページにも及ぶ巻頭特集で、「逆転長寿法」というタイトルがついています。

全文は講談社web版「現代ビジネス」2022年12月24日にも「♯ライフ 不健康でも問題ない…認知症治療の第一人者が語ったほんとうの健康のための思考法 あなたたちは不健康ではない!…気にしすぎてはいけない健康の基準値を一挙大公開」として収載されていますので、ご興味のある方はそちらもご覧ください。

特集を担当された編集部記者の方から取材申し込みの電話があったのは12月中旬でした。

質問事項は、まず痛みと同居した生き方について。次に、高血圧でも糖尿病でも個人差があるのだから、数値にこだわりすぎた生活をすることはQOL(生活の質、いきがいや満足度を意味する言葉)を下げることになりやしないか。さらに老いとうまく付き合っている人の事例があれば教示を、などの内容でした。

 

皆さんがいまご覧になっている雑誌のコピーには、ムリに痩せない、もっと太ろうとか、常識のウソ、基準値なんてあいまいといった見出しが並び、最後は「クスリに頼る人生よ、永遠にさらば」といった、いささか過激な見出しで終わっています。だからでしょうか、今日の会場には、にんまりとうなずいている方もいらっしゃいますが、何名かの方に記事の感想を伺った限りでは、治療は主治医先生に任せており、いまさら薬を減らそうとは思わないといったご意見が多く聞かれました。

そこで今回の資料をもとにお話しする場合、どういった内容がふさわしいかをあらためて考えた結果、2つのテーマを選んでみました。

ひとつは「クスリに頼らない生き方」というテーマ。

そしてもうひとつのテーマは「医者と患者の関係性」についてです。

 

“さらばクスリ”が出てくる背景

まず前段では、薬に頼らない生き方について考えてみたいと思います。

記事(資料)のメインタイトルは逆転長寿法ですが、どの部分にも散りばめられているメッセージは、「そろそろ薬に頼らない生き方をしてみませんか?」といった姿勢です。

“さらばクスリ”といった姿勢がなぜ繰り返し話題になるのかと考えてみたとき、真っ先に思い浮かぶのは薬禍です。薬害エイズだったり、ある薬の連用により間質性肺炎や肝障害が起きたといった副作用事例に代表されます。またポリファーマシィといった用語もあります。多剤併用によっておこる副作用や有害事象を意味し、高齢者医療では医師を悩ます課題になっています。

さらばクスリといった意見は、こうした事例から出てくるのかもしれません。

しかしながら慢性心不全の人が薬を飲まなくなったら全身が浮腫み、胸水が溜まって生きていけなくなります。糖尿病の人が薬をやめたら、そのうち著しい高血糖に見舞われるリスクが増してきます。狭心症の人なら不快な胸の痛みが生じてくるでしょう。その結果どうなるか。

不用意に薬をやめることで、これまでの日常生活が送れなくなる人が増えることは目に見えています。にもかかわらず、薬との距離を置きたいとする意見は、根強くあります。

一方で、老化を遠ざけ若さを取り戻せるサプリならあれもこれも飲んでみたいとするサプリ崇拝者も、現代ニッポンにはいらっしゃる。年々増えているサプリメントの売り上げをみると、そうした思いを抱いている人は、少数派とはいえないように感じます。

 

頼らないという生き方

「〇〇に頼らない生き方」というテーマはたくさんありますね。親に頼らない生き方、インスタント食品に頼らない生き方、株に頼らない生き方、会社に頼らない生き方、男に頼らない生き方、人に頼らない生き方……もうきりがありません。

〇〇に該当するのは、頼れる存在でありながら、これからもずーっとというのはどうもなあ……といった気持ちがあるはずです。ふと気づいたのですが、〇〇に頼らない生き方というのは、どれも一つひとつが現代社会と暮らしを語る上で話題になり得るテーマですね。

クスリに頼らない生き方をすでにしているという人は、こんな発言をよくします。

「クスリの力は借りたくない。できれば自力で治したい」

「薬禍という言葉があるように、やはりクスリは怖い」

「医療が進んでいる欧米では、日本ほど多くの人が薬を常用していない。ニッポンはおかしい」

「自然に即した生き方をしていれば、薬は不要なはず」

それぞれのご意見はごもっとも。どの姿勢にも理由があるだけに理解できます。

ですからあとは、あなたの場合は いま述べられた一般論で説明できますか? ご自分とのすり合わせはしてみましたか? とお伝えしています。

ちなみに自力で治したいとする方が抱える疾患は高血圧症と糖尿病が大半で、症状が出にくい点が共通しています。いずれも放置することで脳血管障害、虚血性心疾患、認知症の発症リスクが増します。なんらかの症状が出る場合は、服薬に抵抗がないともいえます。

 

生きていくための軸とすり合わせてみる

さて、すり合わせとはどういうことか? 自分の何とすり合わせるのか? と訊かれるかもしれません。すり合わる相手は、あなた自身に内在している “軸”です。生きていく上でこれだけは譲れないというのが軸。自分らしく生きるための哲学といってもいいでしょうか。

意外に自分では気づいていないのですが、他人からはよく見えている軸もあります。たとえば自信家や頑固さに宿っている軸、流行に翻弄されるなど情報への飛びつきやすさに宿っている軸、風見鶏のように風向き次第で態度がころころ変わる人の軸、また石橋を叩いて渡るが行き過ぎて、石橋を叩き割ってしまうような慎重すぎる人に宿る軸など。慎重であり用心深い姿勢の裏には、他人を信じないといった要素があったりします。どれも、自分が思っている以上に頑強な軸です。

また、こころが悲鳴を上げているのに、みんなの前では笑顔を絶やさない ほほえみうつ病の人には、他人の目や声をいつも気にしていたり、他人に弱みをみせたくないという軸があったりします。

ともあれ軸があまりに強靭だと、体の“声”は封印されてしまいます。

ひとつのことにこだわり過ぎるあまり、ちょっとした異変を軽んじたままでいたら、あるとき体が悲鳴をあげて倒れたといった例は、これまで何度となく目にしてきました。

そのため可能であれば、他者から指摘された軸とのすり合わせも勧めています。

 

方針が決まったら医師に伝えることを忘れずに

よく考えて決めたつもりでも、自分自身の体についてはバイアスがかかっています。一般論ではそうかもしれないが、自分だけは例外だといったバイアスです。どこからそんな気持ちが出てくるかといえば、長年生きてきた経験からです。わたしたちはそれぞれに、しかも例外なく一般論では説明のできない生き方をしてきました。それが確信の根拠になっているのです。

 

自分の体については少し距離を置き、自分から切り出された客観的パーツとして、医師の意見を参考に眺めてみてください。その結果、これまで同様のクスリを服用するかしないか、治療を継続するかしないかが決まったら、その旨を医師にきちんと伝えてください。医師のほうは、改めて患者さんの意思確認をするでしょう。治療に対する説明をひととおりしたあと、それでも意思は変わりませんか? と尋ねてイエスであれば、医師はその旨をカルテに残すはずです。

たとえば血圧が180/100だったため治療が必要であると医師が患者さんに伝えたとしても、患者さんが治療を希望しない場合、その経緯を医師はカルテに残すでしょう。理由は明白で、責任の所在があいまいにならないためです。

もし幾日かが過ぎて患者さんの状態が悪くなって救急搬送され、脳血管障害が確認されたような場合、「血圧が高くて医療機関を受診したのに、なぜ降圧剤の投与がされなかったのか」とご家族は思うはずです。そのようなとき、カルテに記載された内容が大事になってきます。身体的不利益が生じたとき、本人の意思を尊重したと説明するためにもカルテの内容は大事なのです。施設にいらっしゃるような高齢者なら、ご本人から申し出があった希望や意見をご家族にお伝えします。

 

日常診療で医師が大切にしていることは複数あるはずですが、患者さんの希望や本意を聞き取り、それを記録としてカルテに残す行為も、そのひとつです。治療する場合、医師は複数の選択肢を持っているとはいえ、決定権はありません。決定権は常に、患者さん側にあります。この点については後段でも考えてみることにします。

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