死因特定のための解剖
(救命現場から 第9回 終わり)
- 高齢者の終末期
新聞などの報道記事を読むと、利用者家族からの要望には次のような意見が少なくないようです。「最期はできる限り自然のままでと希望しながらも、心肺停止が起きたら、せめて心肺蘇生は試みて欲しい」と希望する考えです。
あるいは終末期であっても、状態が悪いのであれば入院して、できることは何でもして欲しいとする意見や、病院に搬送してベストな医療をお願いしたが、解剖まで頼んだ覚えはないといった意見もよくみかけるところです。
医療現場に目を向ければ、「自然のまま」の対応を希望された場合、「終末期の心肺蘇生」は行われません。老衰が進み、終末期に入った身体は、大半の医療行為に反応しないからです。
また病院に入院してほどなく亡くなるような例は、死因を特定する必要性から解剖されることがあります。死因不明では死亡診断書が書けないためです。
解剖するかしないかの判断は、担当した医師の判断に委ねられるため、家族や施設は口をはさめません。「できることは何でもして欲しい」とフルコースを希望した以上、「解剖で死後のからだを切り刻むことだけはしないで」とはいえないのです。
市場原理で用いられる用語にマーケット・インがあります。消費者つまりマーケット側が必要とするモノやコトを、提供側が調査して供給していく姿勢がマーケット・インです。
反対に、自分たちが生み出した技術をもとに、こうしたモノやコトを提供できるといった立場から市場に打って出る姿勢は、プロダクト・アウトと呼ばれました。
いずれの考えも一見、理に叶っていると思われがちですが、それぞれ落とし穴や、限界があります。マーケットのニーズが想像以上に多彩であり、深浅を伴っているからでしょう。
医療や福祉介護の場でいえば、利用者が何を求めているかを調査し、それに呼応できる体制を整えるのがマーケット・インに沿った姿勢といえます。
マーケットつまり利用者側の考えを、プロダクト側から調整してさしあげる行為も、ときには必要なのだろうと感じます。