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浜辺の診療室から

小さな診療所としての取り組み

  • 介護・医療・福祉の現場から

2020年は、行政主導の特定健診(6~10月)を行わないませんでした。

診療所の管理者として、そうした判断をした。理由は簡単です。

新型コロナウイルスという厄介な病原体がニッポンにも入ってきたし、

冬季は大変なことになると感じていたからです。

具体的にいえば、健診に割く時間を社内教育にあてました。

端的にいえば、健診の重さと新型コロナの重さをてんびんにかけ、

新型コロナのほうが重いと判断した結果です。

 

医療を提供する組織として公衆衛生の“標準”レベルはクリアしている

と自負できない医療機関は、

新型コロナの時代を乗り切ることができないでしょう。

す・べ・てのスタッフが標準レベルをクリアできない限り、

ほころびは、必ず出ます。

とはいえ、ものごとに完璧はなく、100%もありません。

力ある基幹病院からの緊急レポートを読むにつけ、

新型コロナウイルス感染症への対応はホントウに難しいと感じています。

  標準”以上のスタッフや設備があったにもかかわらずクラスター化した。

  思い込みにより足元をすくわれた。今から思えば、疑いの目が欠けていた。

とする内容が多いからです。

 

ただし繰り返しますが、それは“標準”レベルができていて、はじめて言えることです。

やることをせず、やらねばならないことも統一されず、不徹底だったというなら、

それは専門性や知識以前の問題でしょう。

 

 

玄人が絶対視することを、素人は軽んじます。

これは専門性のあるなしの話ではありません。

そのようなことは知らなくても問題なく生きてこられたという

たしかな実体験を持つ人たちに向かって、

新しい概念を説き、それを理解してもらいたいのであれば、

相手への理解と温情を持ちながら、徹底的に目線を落とす必要があるでしょう。

知らないものはどうしたって知らなかったのですから、

聞き手の立場になって一つひとつ説くしかないのです。

 

「何度も何度も言っているのに守ってくれない」

といった弁明を耳にすることがあります。

でも多くの場合、

守ってくれない結果を招いた責任は、

説明された側でなく、

弁明している側にあります。

 

こちら都合つまり弁明者の理屈で説明している限り、

相手の腹には落ちていません。

だから何度言ったところで、

いつまで経ってもルールは守られないのです。

 

守られないルールから何か起こるでしょう?

コロナでいえばクラスターです。

小さな診療所がクラスターになったら……たぶん受診者は消えます。

そうならないように、

ルーチンワークのなかからいくつかの作業を捨て、

新型コロナとの向き合い方に注力してきたつもりです。

 

 

紅葉の季節がはじまりつつあった10月、

診療所として新型コロナとの向き合い方を理事長とともに考え、

新型コロナウイルス検査実施医療機関への参加を決めました。

一番の理由は、法人が特養を抱えているからです。

もし限りなく疑い濃厚の利用者(入居者)が出たらどうするかを考えたとき、

当時はクルマで30分ほどかけて地区医師会のPCRセンターに行って

検査してもらうしか手がありませんでした。

  誰が運転する?

  クルマという閉鎖空間でスタッフが感染したらどうする?

  家族だって心配だし、本人だって不本意だろう――。

 

結論が出るまで、たいした時間は要しませんでした。

 

 

世の中では、コロナ嫌悪が拡大し、

その矛先は医療機関にまで向いています。

致し方ないことだと思います。

けれども、

わかってくれる人はわかってくれているというのが

2020年下半期の印象です。

ねぎらいのお言葉を頂戴する機会が増えてきました。

「お互い、気をつけて最善を尽くしましょう」が

このところの合言葉になっています。

 

 

ホッとできる診療所を理念としてきた当院として、

社内教育は住民に対するマナーであり、最低限の節度と考えています。

コロナのキーワードに「波状的」があります。

状況に応じた息抜きは、

コロナに心身を蝕まれないためにも必要です。

安心もあっていいのです。

ただし、慢心は禁物。

状況は波状的にころころ変わっていくでしょうから、

臨機応変に食らいついていくしか手はないのです。

目次

生をめぐる雑文

新型コロナウイルス感染症

老いるということ

認知症

高齢者の終末期

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