現代医療が向かう先
- 介護・医療・福祉の現場から
時代の変化や、諸文明の世界観によって、
ものごとの定義や使命が変わっていくことがあります。
たとえば脳死は死か? といった問題が出てきたとき
哲学者梅原猛らは猛然と反発し、平成4年に
対談・鼎談集『脳死は、死でない』を発刊しました。
知識人たちの怒りを契機に、医療を見る国民の目は不信一色に染まりました。
思えば日本古来の思想と、
西欧文明なかでもプロテスタント思想の衝突でした。
医療の定義や使命は、いまどうなっているのでしょう?
『ルポ 看護の質』や『長生きしても報われない社会』を読むと、
医療は混沌とした、ややこしいポケットに入り込んだ印象を受けます。
病院、在宅医療・介護、施設、病人、家族、地域社会といった
現代医療のキーワードが“行く先を失っている”らしいのです。
「急性期病院を出た先で、患者さんはいったいどうなっているのか」
とする看護師の意見が、ルポで紹介されていました。
――よくわかります。
忙しいとはいえ、大きな病院の従事者は楽です。
優先順位第一や第二に手を打てば許される仕組みになったからです。
けれども高齢者は、容易に手がつけられない優先順位第三を抱え、
第四、第五……を抱えています。
急性期型病院で許される入院期間が徐々に短縮されていきましたが、
そこには高齢者特有の“もろさ”への配慮が
すっぽり抜け落ちています。
道半ばで退院させられる高齢者の悲劇が膨らんできました。
そのようななかで急性期型病院の看護師はカラ回りし、
それ以外の病院の看護師は、す・べ・てが粗雑化しつつあるらしいのです。
医療のことは医療人や政治家でなければわからない
とするスタンスは、
教育のことは、子を育てた経験者や
教育関係者でなければわからないとするスタンスと同じです。
自分たちの都合を主張して、外からの目や意見に耳を貸さなければ
“タコツボ化”現象が起きます。
自分たちのことは自分たちが一番よく知っている。
だから自分たちの部署が常に正しく、周囲の意見は誤っている。
自分たちを攻撃してくる周囲は、たかが素人集団じゃないか――
というのが、タコツボ化した組織のいいぶんです。
さて、……医療や病院の定義や使命は何だったのでしょう。