過労状態では、脳の極度な疲労が起きている
過労死させないのがオトナの責務
- 働き方(メンタルヘルス)
- 働き方(労働衛生)
先日「ノー残業デー」の無意味さを説いたコラムを読みました。
わたしとほぼ同年代の人は、こう語っていました。
資源に乏しい日本にとっては、残業を厭わない人と、
そこから生み出されたモノ作りの技術が唯一の資源であることを考えると、
「NO残業day」という言葉に危うさと反発を感ずる。
コラムを読み終えて、なぜか無性に腹立たしく、
またこうした人が、涼しい顔をして
人をつぶしてきたんだろうなと思いました。
大手広告代理店で、若い有能な女性が自殺したことを、
ニュースで知りました。
過労を経験したことのない人は、
被害者の心情が理解できないのかもしれません――。
過労状態では、思考の停滞や混乱が起きています。そのむかし臨床呼吸器の立場を離れて心療内科での研鑽を始めたころ、労働衛生コンサルの立場から過労死問題にも取り組む機会を与えられました。都内の弁護士さんたちによる自殺問題研究会に誘われて意見交換したときにお伝えしたのが、ちくま新書にも収載した以下の内容です。
それまで普通に仕事をしていたひとりの人間が、
うつ病になり、不安神経症になり、
時を経て過労死し、過労自殺する前には、
一定の現象がかなりの確率で現れている。
思考のコンフュージョン(混乱)だ。
あることが気になって仕事に集中できず、
ひとつのことを冷静に判断できないという、
思考の交錯がもたらす混乱のことである。
このとき脳は、使いすぎによる劣化というより、
空転している。(『職場はなぜ壊れるのか 2007年 ちくま新書』から)
当時は構造不況から脱しようと、大半の企業が成果主義や目標管理制度を導入し、数値化による評価をし始めていました。追い詰められた社員たちは次第に心身を病むようになり、自殺者は三万人を超え、過労自殺に歯止めがかからない状態に突入していきました。
ニッポンが苦戦で喘いでいるとき、
シンクタンク日本能率協会経営研究所のグループで
優良な会社や、モノづくりで定評のある中小企業をまわって
意見交換する機会に恵まれました。
そこには“過労”はなく、“長時間労働”もなく、
ひたすら知的好奇心と協働と創発が渦を巻いていました。
画期的なモノやコトが、空転した脳から生まれることはありません。
研ぎ澄まされた感性は、ありふれた日常に宿ることを知りました。
いかなる人も、
過労によって命を落とすことがあってはならないと思います。
経験がないからと長時間労働のトンネルに挑もうとする若者たちに、
それはダメだ! 命を落とす危険がある! と諭すことができるのは
ある程度、社会をみてきた
オトナたちの役割であり、責務だと思うのです。