揺れる家族の心情 病院での対応
(救命現場から 第7回)
- 高齢者の終末期
高齢者施設から救急搬送されてきた別のケースの話をしましょう。
低体温症で意識がないというのが搬送理由でした。画像でざっと調べてみると心不全があり、肺炎があり、胸水も溜まっています。一朝一夕でこうした変化は起きません。
血液検査では腎機能の低下と脱水症がありました。
食べる量が著しく減ってきたため、二か月前から輸液を受けているとのことでした。
つまり終末期に近い状態なのだろうと判断しました。
年齢は90歳を超えています。
終末期対応について、
施設との話し合いはどうなっていたのでしょう? と問うたところ、
付き添ってきた看護師がいいました。
「当初は施設内看取りでした。
けれどもご家族に状態をお話したところ病院搬送を希望されたため
救急車を要請しました」
つい先ほど修正されたという資料をみて、驚きました。
延命希望には「希望しない」に線が引かれて「希望する」に〇があり、
致死的状態悪化のときには心肺蘇生を「希望しない」から「希望する」に〇があり、
さらに機械による呼吸管理(人工呼吸器装着)にも〇が付いていたのです。
これは……施設内看取りではないのですか?
と改めて訊くと、同伴していたご家族が口を開きました。
「当初はね。……でもさ、こうなったら少しでも長生きしてもらいたくて」
そこで泣き崩れたのです。
その方は、ご主人(配偶者)でした。
看護師の話では、
施設で説明を受けたときも激しく泣いていたとのことで急遽病院搬送となり、
最後まで手を尽くして欲しいといった選択肢に変更されたとのことでした。
終末期にあって、意見や要望の変化はあっていいのです。
これまで目にしたことがない光景に触れれば、
誰だってこころは揺れ動きます。
けれども感情が揺さぶられた結果として、徹底的な蘇生を願うことは、
蘇生を受ける人の身体条件から、目を背けています。
老衰が進んで、自力で快復する力が残されていない人への蘇生行為は悲惨です。
悲惨を通り越して、徒労に近い印象があります。
もろい肋骨は、心臓マッサージを開始したところで、ほどなく折れます。
ボキボキというその音は、よみがえるという“蘇生”とはほど遠く、
老体に鞭打つ非情者になったかのような錯覚を覚えます。
もろい血管をどうにか確保して強心剤を入れてみたところで、
心臓は悲鳴をあげるどころか、一過性の反応しか示しません。
よみがえるためには、よみがえるだけの素地が必要なのです――。
そうした説明をしたあと、最小限の措置をして
施設での看取りを勧めさせていただきました。