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浜辺の診療室から

いまは地球の小春日和

  • 生をめぐる雑文

特養施設の巡回診療を終えたあと、

クルマを30分走らせて温泉宿にいき、

露天風呂に入りました。

湯船に浸かりながら、暮れていく山の稜線を眺め、

ひらひらと舞い落ちてきた赤い花びらは

寒椿かと思ってみたり、

平日の夕刻に温泉に来る人のお仕事は、

同業者かなあなどと想像を巡らしていたら、

前日の夜に読んでいた本の一節が、ふと頭に浮かびました。

 50歳をすぎると、自分の人生の残りがだんだん見えてくる。

立花隆さんのことばです。

 

あるいは源信が極楽往生のための実験をして

徹夜で念仏を唱えたときの状態を、

臨死体験した自分の経験に重ねて語った山折哲雄さん。

 いよいよ自分の寿命が尽きた、

 あと一ヶ月か二ヶ月で息を引き取るかもしれない

 ということを悟ると、穀断ちをする。

 五穀を断って木の根・木の実のみを食べる木食(もくじき)を行って、

 自分の体を枯れ木のような状態にしていく。(中略)

 病気で点滴をしながら10日間ぐらい絶食をしたことがあります。

 すると3日目、4日目あたりまではものすごい飢餓感に悩まされたのに、

 不思議なことに、5日目、6日目になると、気持ちが非常に澄んでくる。

 五感が非常に鋭敏になってくるし、体全体が軽やかに感じるんです。

 

さらには、荒俣宏さんのことばが頭のなかで渦巻いたり……。

 昔は老人が家にいて畳の上で死ぬから、

 子供たちでも眺めていれば死というものが

 大したことじゃないんだとわかった。(中略)

 いまは家庭で畳で死ぬと変死扱いになる。(中略)

 今はたまたま地球の調子がよくって、

 少数の死でたくさんの生を保っていられるけど、

 それはいつまでも続かないというのが本質なんでしょう。

 いまは地球の小春日和なんですよ。

 

 

帰路、左手に広がっているはずの海は漆黒の闇。

ゆるやかなカーブを曲がったら、

満月の光を受けた海面が、まるで

永遠に伸びる白い道のようでした。

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