脆さ(もろさ)を前に、医療はなすすべがない
(救命現場から 第5回)
- 高齢者の終末期
湯河原と真鶴がある県西圏域は、横須賀・三浦圏域とともに、高齢化率が高いエリアです。
なかでも湯河原と真鶴は、高齢化率が高い町です。
年を取ることにより、多くの臓器は、機能低下の方向に向かいます。認知症が注目されるあまり、脳の機能だけが論じられがちですが、85歳や90歳にもなれば、心機能や、腎機能や、呼吸機能のどれかひとつ、または複数の臓器に機能低下がみられる例が大半です。
心機能が落ちて心肺停止や、それに近い状態が起きているとき、救命救急のABCは、ほとんど役に立ちません。加齢がもたらす脆さに対して、現代医療は、ほとんどなすすべがないのです。
そのようなわけで、心肺停止やそれに近い例が施設から搬送されてきても、なすすべがなかったことを、病院勤務の時代に痛感しました。
加齢がもたらす脆さに対して、現代医療はほとんどなすすべがない――。よく読めば、あたりまえのことかもしれません。医療で老いを治すことは、できないのですから。老いないための医療は、将来的に可能になるのかもしれませんが、そのときはそのときで自然か不自然かで、議論になりそうです。だからかもしれません。多くのアンケートが語るように、老いてなお、延命治療は望まないとする人が増えています。
けれども反対に、老いてなお、呼吸・循環状態が悪化したことを理由に、病院に搬送された例も、かなりありました。ある例は「施設での看取りを希望していた」ケースでした。本人もそう希望していたし、家族の意向もそうだったようです。それなら搬送された理由は、どこにあったのでしょう?
別の例では、「急変時は病院搬送を希望していた」ケースでした。家族いわく「だって、体が悪くなれば病院に行くのは、あたりまえでしょ」。
たしかに、そうです。そういわれてしまうと、医療スタッフには返すことばがありません。