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浜辺の診療室から

朋遠方より来たる の意味は、
奥深いなあ

  • 生をめぐる雑文

とも遠方より来たるということばがあります。

   はるか遠くにいってしまった友人がやってきた。

   かつて親しくしていた友人だけに、その訪問はなつかしくうれしい――。

といった意味だと思っていました。

 

しかし論語にある孔子の教えは、もう少し深いようです。

 

  反復して学び続け、会得し合う行為はなんと楽しいことか。

  かつてその学びとこころざしを共有した友は

  せっかく知り合えたと思ったとき、

  いろいろな事情で遠隔の地に移り住むようになってしまう。

  そうしたできごとも

  長い人生では仕方のないこと。

 

  いまは遠く離れてしまった友が、あるときふとやってくる。

  近況を報告したり、意見を交わしたりしてときを共有できるのは大きな楽しみ。

  でも話の矛先は、やっぱり学びとこころざしに向かっていく。

  友との時間が 、生きていることをいっそう豊かなものにしてくれる。

 

「朋有り遠方より来る 亦(また)楽しからずや」には、そうした含みがあるようです。

朋について孔子は “故旧は大故なければ則ち棄てず” とも説いていました。

 

    古いとも(朋・友)であるなら、

    よほどのことがない限り見捨てはしない。

    多少の過ちや裏切りがあっても許す。

    それが老朋友――。

 

わたしには、いえわたしたち仲間には

“とも” がいたことを昨日知りました。

あなたにも “とも” がいますか?

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